こうしたこともあって、資金はすべて仕事に回すという私の理念は、今になっても少しも変わることなく続いているのである。
また、今では考えられないかもしれないが、その頃の私は、電話さえ引いていなかった。
当然営業を終えてお客様のもとを去ってしまえば、次の訪問時までは、そのお客様とは、もう連絡がつかないことになる。
だから、私は、去り際には必ず次の訪問の日時を決めておいて、ぜったいにその日時に遅れがちなバイクを貸してくれたI戸さんの墓前で、当社の総合カタログができたことをご報告した折に。
I戸さんは、私にとっては親友といってもよいくらいの人だった。
私が会社を大きくしていった後も親しくさせていただいていたのだが、残念なことに、数年前、肺癌で亡くなられてしまった。
タバコが原因とはいうものの、ひそかに私は、技工士さんが仕事で使うアスベストがほんとうの理由ではなかったかと思っている。
いように心がけたのだった。
こうして私か約束の時間に寸分と違わずお伺いすることが積み重なって、私はますます先生方に信頼されるようになったのである。
今のように携帯電話などがなくても、決めたことをきちんと実行していれば、かえって何事もスムーズに進むものだし、お互いの信頼関係が崩れることもないのである。
仕事で使う車も、独立した当初は3000円で買った中古の自転車だったが、すぐに、友人のI戸利電話を入れたのは、独立して5年ほど経ってからのことだった。
そのときの黒電話器が、三さんという技工士の方から借りて、ライナーという、もうなくなったメーカーのオートバイが使えるようになった。
オートバイといえば、当時としてはとてつもなく高額品で、女房より大事にしてあたり前といわれていた頃の話である。
I戸さんには、今でも心から感謝している(普通の乱自転車でも、当時のサラリーマンの月収よりはるかに高かった)。
BリヂストンのBSモーターという原付自転車を宍自分で買って使うようになった。
ただ、原付自転車とはいっても、釘文字通り自転車に補助エンジンがついただけで、今の電動自転車に似てはいるか、電気ではなくガソリンで走るものだ。
エンジンを回すと、車輪のリムと連結したゴム輪が回転して前進するという簡単な構造で、雨でも降ろうものなら、ゴムと金属のリムのあいだが滑って、ちゃんと走らなくなるのである。
そんなときは、普通の自転車として使うしかないから、私はせっせとペダルを漕いで営業に回っていたものだった。
成年後見で人より進んだ考え方を手に入れるとイメージは急速に改善し、成年後見が微増した。